ドックリバースがクリッパーズのヘッドコーチに就任して5シーズンが経過したが、クリスポール、ブレイクグリフィン、デアンドレジョーダンのビック3を擁しながら一度もカンファレンスファイナルにすら出場出来ていない。更に今シーズンはクリスポールとブレイクグリフィンに別れを告げ、チームは再建モードに入っている。
果たしてドックリバースはクリッパーズを壊してしまったのかについてESPNがまとめているので是非紹介したい。
少々長いため、略しているが全部読みたい方は原文を読むことをお勧めする。また、一気に書けないので書き分けることにした。
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この週末、 NBAのポストシーズンは10年間で初めてドックリバースなしでスタートする。怪我が激しく、シーズン開幕前とシーズンの途中でフランチャイズプレイヤーがチームを去ったにもかかわらず、リーグで最も移行期にあるチームをガイドしたとしてリバースは賞賛を得た。しかし、リバーズはロサンゼルスでの彼の第一の目標は達成していない。
「この20年を振り返ると、自分たちの記録を見て、本当にうまくいって本当に成功したことがわかる。しかし、私はこのために来たのではない」 とリバースは言う。
クリッパーズでの5シーズンの間に、リバースは259勝150敗を記録したが、チームは決してカンファレンスセミファイナルを勝ち進んだことはなかった。クリッパーズは、ファイナルに進める程、非常に優れたチームではない−2014年以来、2チームを除いてすべてがシャットアウトされている-しかしその失敗については独特の特筆すべきものがある。素晴らしい才能を詰め込んだクリッパーズは、コートでの存在感とタイトルへの抱負を持つスターが結集したリーグ最高のチームの1つとしてもてはやされていた。
リバースの就任は、クリッパーズにとって大きなスプラッシュだった。リバースは二人のオールスター、クリス・ポールとブレイク・グリフィンの庇護のもと、ボストンからの出ていくことを計画した。クリッパーズはボストンからリバーズを獲得するために、保護されていない2015年の1巡目指名権を放出した。そしてチームの経営の幹部にも任命した。
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いくつかの点で、クリッパーズはリバースにとって難易度の高さを示していた。リバースが就任する前のクリス・ポール時代の最初の2シーズンは、50勝を記録したシーズンだったが、チームは2013年にプレイオフのファーストラウンドで姿を消した。リバースの前任者、ビニー・デル・ネグロと選手との間に相互の愛情は育まれていなかった。チームはコート上で不満を募らせ、派閥がロッカールームで形成されていた。
リバースはエゴを飼いならすことができ、クリッパーズが欠いていたケミストリー醸成の手助けとなる人物として歓迎された。2012年のSI選手調査では、リバーズが最も一緒にプレーしたいコーチに選出されていた
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「最初の年は楽しかった。」5シーズンクリッパーズに在籍していたジャマールクロフォードは言う。「ドナルド・スターリングの問題が起きた時、彼はあの事件を通して私たちを導く最良の人だった。『私がこれを処理する。君たちはバスケットボールに集中するんだ。』」
クリッパーズは結束の模範ではなかったかもしれないし、カンファレンスセミファイナルでのオクラホマシティとのGame 5での敗北は悲惨だった。しかし、競争の激しいポストシーズンの中でスターリングの不運を乗り切ったことは、スティーブ・バルマーがフランチャイズを購入する前夜には、彼らを一年前より統一されたチームにさせた。リバースは、危機をマネジメントした結果、その信用にレバレッジがかかり、シニアエグゼクティブに任命され多額の新規契約に獲得した。
しかし、力を統合することで、問題も統合されてしまう。
2004年から2013年までボストンでリバーズとプレーしたESPNのアナリスト、ポール・ピアース氏は、「ドックとプレーしたことのない人は皆、色んな理由で彼を愛している」と語った。「私はそれが何であるかわからない。私がそのコーチのもとでプレーしない限り、ゲームの前にコーチのところに行くことは決してない。しかし、ドックとプレイしたことのない選手は、いつも彼のところにやってきて握手している。私は彼がコーチとしてどれだけ好かれているかということについていつも驚いている。彼は他のコーチのようにクソになりうるからだ。」と語った。
リバースの何が選手を魅了するのだろうか?リバースのボストンでの9つのロースター全てに唯一入っていたピアースは、リバースの神話を構成する様々な特質を指摘している。リバースは、プレイヤーとして、彼の才能を最大限に生かした、信頼できるポイントガードとして600以上のゲームに出場した。また選手らは、ボストンのビッグスリー、特にガーネットが、リバースに敬意を表しているをよく見ている。それはプロアスリートが欲する一種の兄弟関係を育成しているように見える。報道での分析を聞いて育った人もいれば、ゲーム後の表彰台での掛け合いを賞賛している人もいる。
「そして彼はチャンピオンシップを獲得した数少ない黒人監督の一人だ」とピアースは付け加えた。「選手たちははそれを認識している。」
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「ボストンでは早い段階で成功した」とピアースは言う。「初日から勝ち続けチャンピオンシップを勝ち取った。成功すれば信頼が得られる。いつもそれに傾倒すれば良いのでより簡単になる。あの頃から下り坂だ。『俺たちはやった。もう一度やろう。』ドックはクリッパーズと成功体験がない。彼らはウェスタンカンファレンスのファイナルにも出場しなかった。お互いに疲れてお互いの信頼を失った。それが私が見たものだ。」
あるいは、リバーズ自身が言ったように、「いったん勝利しなければ、賛同を得られることが毎年少なくなった」
クリッパーズのダイナミックさは広く考えられていたように、チームの雰囲気を左右する対人関係の総和から来るものであった。時が経ち、複数の元クリッパーズ選手や職員によると、リバースはポールやグリフィンと同じように目立った存在になっていた。そして、センシティブな面を管理し、意見の不一致を調停する権限を持つ者として、リバースはますますエゴをもつれさせていった。
続く
ドックはクリッパーズを破壊したのか(前編)
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