(続き)
“ヒューストンへクリスポール移籍の後、クリッパーズのオーナー、スティーブ・バルマーは元ポイントガードのもとにに出向いた。新しいオーナーであるバルマーは、組織の間違いから学びたいと思っていた。そして、ポールはフランチャイズの現在の状態についての考えを伝えた。リーグ筋によると、ポールはリバースが要因の1つであると述べた。
2013-14年から2016-17年のクリッパーズの半数以上の選手が、「ダイナミックさ」においてのリバースの役割について話すことを拒否したが、信頼できるほぼ一致した意見が浮かび上がった。ある者によれば、彼らはリバースが複雑なロッカールームをマネジメントすることができないことにフラストレーションを溜めていくのを見たという。そして、
それを表に出し始めたという。
複数の元クリッパーズによれば、リバースは選手が聞きたいことを伝えることによって選手を納得させる傾向がある。
それは選手がチームメートを批判するときでさえであった。リバースは、選手がいつも意見が合う状態ではなくても、自分たちで話し合い、気付きを交換するという解決はしなかった。選手はフィルムセッションや試合の夜には彼のことを合理的で正直だと思っているが、彼が特定の選手について何を言ったかを把握することは、選手とその仲間の間でゲームになった。
リバースのセールスマンシップは、長い間長所として訴えられてきた。「私たちはすべて自分のものを売っている。」と彼は言う。「コーチがすること、それは勝つ最良の方法だと考えていることを売っていかなければならない。」しかし、リバースのリーダーシップスタイルを賞賛する人さえも、実現しないにも関わらず選手たちに役割を約束する傾向があることを認めている。
実際、2013年から17年の4年間で、選手たちはリバースのコメントや志向を真に疑うようになった。リバースがESPNのザック・ロウにJJレディックがクリッパーズに戻ることを「懇願」していたと言ったことを証拠としてあげるものもいる。レディックを知っている者なら誰でも嘘に聞こえる発表は、正式な場でもそのようなことを声高に言うと困惑させた。選手の中には、リバーズが自分の好きなように認識を擦り変え、真実ではないものを積極的に触れ回ることがさらに証明されたと言う。彼らにしてみれば、リバースは注目を集めるだけでなく、自分の都合で真実を隠すという点で政治家の才能があるという。
何よりも、クリッパーズの選手たちは、チームのプレーオフでの不運が続いているため、彼との間に距離を感じていた。(略) 彼は、選手との間の距離を維持し、必要最低限の会話をし、時には悪い知らせを送るためにアシスタントコーチを使った。
昨年3月のメンフィスで行われたチームミーティングでは、前夜のミネアポリスでの激しい試合の後、リバースはチームと激突した。(略) リバースは彼らに対して、彼ら自身が責任を取れないのだから、今のチームに自分は責任を持てないとガーネットに話したと語った。
クリッパーズにとって、リバースのメッセージは、コーチと選手の関係の崩壊を表すものだった。リバースはチームが弱いと感じていたため、責任を放棄した。コーチとしてこのメッセージは、「生まれて来なければよかったのに。」に等しいものだった。
「私は去年浮いていた。私は彼らと一緒にいたくなかった。」リバースは言う。「私はコーチしたかったが、このチームはコーチをするのは難しいチームだった。とにかく私は内向的だし、よそよそしい。またチームはお互いが好きではなかったため難しい組織だった。理解したいと思うことが必要があり、私たちは理解したいという能力を失っていた。」
(略)
スターリングの事件はまた、リバースの飛躍のきっかけになった。リバースは、金持ちで熱心な新しいオーナーに自由にアプローチでき、かつすべての問題について独占的にコントロール出来る新しい契約に署名した。
リバースの人事決定とかつてのベテランに対する彼の親近感は記憶に新しい。フロントオフィスを統括する在任期間中、クリッパーズは1巡目指名選手と2巡目指名選手を育て上げたことはない。バーゲンセールの選手を再生して、チームの貢献者に変えたことはめったになかった。1つの例外はルークバーアムーテであった。アムーテは多才な3-Dフォワードに進化した。「最初から彼を獲得していれば、勝利できたと思う。」リバースは言う。「彼はチームにとってとてもパーフェクトだった – とにかく、守るんだ。」
もう1つの例外は、2015年に獲得したニューオーリンズの2012年ドラフトの第10位指名のオースティン・リバーズだった。リバースは、ペリカンズで活路を見いだせなかったルーキー契約のコンボガードだった。彼はまたドックリバースの息子だった。キャップアウトしていたクリッパーズは、まだ見込みはあるが、力のないルーキー契約の選手たちをカットしようとしていた。ドックリバースはレジーバロックとクリスドウグラスロバートと将来の2巡目指名権の代わりにオースティン・リバーズを獲得する機会があったとき、彼は契約に動いた。
この契約により、ドックリバースは既に問題を抱えているところに別の潜在的な地雷を埋めることになった。コーチの息子であることに加えて、オースティン・リバーズはベテランのロッカールームに入ってきた若い若い選手だった。 – 彼の事が感に触る元チームメイツでさえ、彼の自信、タフネスそして彼の試合を改善する力は賞賛したが。
元チームメイトは、言う。オースティン・リバーズの態度は必ずしも友人を獲得するのには適していないが、その問題は人間性というより置かれた状況だった。「機会を得ること」はNBAで最も貴重なものである、特にスター以外の人にとっては。オースティンの存在は、ドックとロッカールームの関係を複雑にした。
(略)
オースティンリバースはこの批判に対して反論している。
「CP-Blake-DJ-Docの問題に自分が関係したことは限定的だ。」とオースティンリバースは言う。「勝利しなければ、人々は理由を作り上げなければならない。もう問題はない。誰もそれについてもう話していない。たわ言だったんだ。」
(略)
「勝利しないと、理由を探す」とドックリバースは言う。「最初は『ブレイクとクリスが上手くいってない。』だった。それから、『ドックGM。』そして『オースティンリバース』だった。この後に来る質問は、これだ。『チームのために、正しい動きだったのか。』『過去に遡ったとき同じことをするか。』だ。『わからない。』が私の答えだ。彼を獲得した時と今のプレイを比較することは出来る。しかし『わからない。』事情はとても複雑だからだ。」”
(続く)
ドックはクリッパーズを破壊したのか(中編)
投稿日: